2008年02月29日

JERO(ジェロ) 演歌への道②

ピッツバーグ大情報科学科を卒業して、いったんは就職をしたのですが。。
(大学でも優秀で、将来を嘱望されてたプログラマだったようです。)

どうしても演歌への思いが捨てられずに、2003年に日本へ再び訪れたのだそうです。
どんどん自分のなかで演歌への思いが募っていったようです。

来日してからは様々なカラオケ大会に出場して、次々と賞をとっていきました。
NHK番組のど自慢にも出場し、合格もしました。

このような目だった活動をしていたため、関係者の目に留まりスカウトされます。
とうぜんJERO(ジェロ)の容姿に演歌の組み合わせですから、目立たないわけありませんが・・。

アマチュアとプロではまったく世界が異なりますし、演歌自体がかなり厳しい状況ですからスカウトする側もそれなりの覚悟が必要です。
JERO(ジェロ)スカウトしたのはビクターエンタテインメント。

しかしそこからJERO(ジェロ)のデビューまでがかなり時間が掛かりました。
2年間にも及ぶ演歌のトレーニングが必要となったのです。

この苦労がやっと実り、2008年2月シングル「海雪」でJERO(ジェロ)のメジャーデビューが決まりました。

ただ残念なことに、このことを一番喜ぶであろう おばあちゃんは3年前に亡くなっています。
病床においてもJERO(ジェロ)の歌が入ったカセットテープを聴いていたとのことです。

こんなエピソードを持つ演歌歌手 JERO(ジェロ)はこれからどんな活躍を見せてくれるのでしょうか。

新しい演歌の世界を見せてくれるのかもしれません。  


2008年02月28日

JERO(ジェロ) 演歌への道①

JERO(ジェロ)が演歌の道を目指すようになったのは、日本人である おばあちゃんの影響が非常に大きいです。

JERO(ジェロ)のおばあちゃん(祖母 多喜子さん)は、戦後の世の中で、横浜で米国軍人と出会い結婚、米国に移り住んだ。
このときにアメリカ人と結婚するというのはかなりの決断が必要だったでしょう。

JERO(ジェロ)が演歌や日本の歌謡音楽に触れるきっかけはもちろん おばあちゃん。
祖母の家に遊びに行っったときに、レコードなどから流れてくる演歌などと自然な形で触れることになります。
美空ひばりさんなども、JERO(ジェロ)にとってメロディーも歌う姿も非常に新鮮で心に残ったようです。
そんな環境が演歌歌手 JERO(ジェロ)の下地になっています。
特にアメリカで過ごしていると、演歌がとてもクールな歌に聞こえたのかもしれませんね。

JERO(ジェロ)は小さいころから、おばあちゃんを喜ばすために演歌を歌うようになり、日本に対しても憧れのようなものをもち始めます。

それを良くあらわしているのが、高校時代の日本語のスピーチコンテスト。
JERO(ジェロ)はアメリカ代表に選ばれて日本を訪れています。
祖母のおかげとはいえ、JERO(ジェロ)にはしっかりと日本の文化や音楽に触れて育ってきたわけです。

演歌歌手になりたいという夢も膨らんだ。
高校時代には日本語のスピーチコンテストで米代表に選ばれて来日したこともあったとのことです。